城巡り2024
●姫路城
姫路城に近づく途中でテンションが上がってちょこちょこ止まりながら撮影。
電線が地中に埋められているところが多く、姫路城が非常に美しく見えました。
少し南にいった公園ではイベントも行われていました。
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姫路城は播磨国、現在の姫路市街の北側にある姫山および鷺山を中心に築かれた平山城で、日本における近世城郭の代表的な遺構である。
江戸時代以前に建設された天守が残る現存12天守の一つで、中堀以内のほとんどの城域が特別史跡に、現存建築物の内、大天守・小天守・渡櫓等8棟が国宝に、74棟の各種建造物(櫓・渡櫓27棟、門15棟、塀32棟)が重要文化財に、それぞれ指定されている。
1993年(平成5年)12月にはユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。
姫路城の始まりは、1346年(南朝:正平元年、北朝:貞和2年)の赤松貞範による築城とする説が有力で、『姫路城史』や姫路市ではこの説を採っている。
一方で赤松氏時代のものは砦や館のような小規模なもので、城郭に相当する規模の構築物としては戦国時代後期に西播磨地域で勢力を持っていた小寺氏の家臣、黒田重隆・職隆父子による築城を最初とする説もある。
戦国時代後期から安土桃山時代にかけて、黒田氏や羽柴氏が城代になると、山陽道上の交通の要衝・姫路に置かれた。姫路城は本格的な城郭に拡張され、関ヶ原の戦いの後に城主となった池田輝政によって今日見られる大規模な城郭へとさらに拡張された。
●延岡城
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延岡城は江戸時代に高橋元種によって築かれた平山城である。
築城当初は縣城と呼ばれたが、後に延岡城へ改称されている。もともと、縣は古代以降土持氏の支配する所であり、この城も高橋元種の築城以前に存在した土持氏の城館を改修増築した可能性も考えられている。
延岡城には、ある石をはずすと一気に全壊し、一度に千人の敵兵を殺すことができるという石垣があり、「千人殺し」と呼ばれている。
天主台跡に鐘付き堂があり、現在も1日に6回、市民に時刻を告げている。歌人若山牧水もその様子を歌に詠んでいる。
●洲本城
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1526年、三好氏の重臣・安宅治興が築城した。
1581年の淡路討伐の際、総大将羽柴秀吉に降り、城は仙石秀久に与えられた。
1585年城主となった脇坂安治が城の大改修を行い、現在遺構として残る大部分が築かれた。天守が造営されるとともに、石垣の大改修の際、倭城での経験から「登り石垣」が築かれた。
現在ある模擬天守は、1928年に御大典(昭和天皇の即位式)を記念して、鉄筋コンクリート製で築造されたもので、江戸時代の天守を復元したものではないが模擬天守としては日本最古のもので、展望台に特化した建物である。
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